河合拓氏「アパレル業界新産業論」前編 3-3

河合拓氏「アパレル業界新産業論」前編 3-3

はじめに

7/13の繊研新聞で始まったターンアラウンドマネジャー・河合拓氏のアパレル業界新産業論という8回連載に対する考察の3日目です。1日目はこちら 2日目はこちら

色々と考えてみたい内容でした。書き出したら、朝 さらっと読んで頂く量では無かったので、東京オリンピック開催記念として、3回(7/19 7/21 7/26)に分けてお届けしたいと思います。

先々週の記事でしたので、興味ある方は是非読み返して下さい。

河合拓氏の経歴は、下記、プレスリリースの後半をどうぞ
アパレル“再生請負人”河合拓氏が特別講演/コロナ禍を生き抜く経営戦略を議論
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000036.000025713.html

考察

余剰在庫問題を始めとするアパレル業界が抱える問題を、正論で真っ向から切り裂く、河合拓氏の「アパレル業界新産業論」ですが、問題になっている大量の余剰在庫によって、多くの人が恩恵を受けている事実があります。本当に無駄がなくなった時にどうなってしまうんだろう、という懸念は拭えません。

 

ゴールをどこに設定するのか?で、その解決方法は変わってくると思います。

 

河合拓氏のゴール設定は、国内のアパレルブランドが国内の市場で生き残っていくこと、だと考えられます。今のままだと、業界全体は残れないから、その中で、残れる企業になるためにこうしましょう、と。

 

つまり、

綺麗事を言わずにまずは自分たちが生き残ることを考えましょう。

市場原理の元にゾンビ企業には退場してもらいましょう。

アパレルの市場規模が、そして、アパレルに携わっている人の数が、たとえ半分になったとしても、グローバルブランドと戦えるブランドになっていくことで生き残りましょう。

ということです。

 

では、そうなった時、本当に日本人は幸せになっているのか?

 

私が設定すべきだと思うゴールは、少しだけ違っていて、これからどんどんやってくるグローバルブランドに日本だけでなく世界で戦えるブランドになること、です。

 

迎え撃つのではなく、撃って出て欲しいです。

 

そのためには、河合拓氏が指摘されているようなデジタルを活用した流通構造の変革は必要でしょう。

 

河合拓氏はコンサルタントの経験や日本・アジアで多くの小売を再生した経験から、商社にこの提案をしてきたが相手に届かなかったと述べられています。

 

多分、あまりに正論過ぎて「そうは言っても」となったのではないでしょうか?場合によっては、ディスられているだけ、と受け取った人もいるでしょう。商社はデジタルによって飛ばされるわけですし、過剰在庫の恩恵を短期的中期的に受けているわけですから。

 

逆にいうと商社の生き残る道は、物流にかまずに金融とデジタルシステムに特化することしかないかもしれません。お客さんに「アウトソーシング」させてその受け皿になるのではなく、「インハウス」させて、そのツールを提供することが最善策だと考えます。

 

そして、高度成長期に日本製品が商社の手によって世界に拡がったように、日本のアパレルをグローバルブランドにする仕事を商社に人にはやって欲しいです。

(辞めたので好きなこと言える。。。)

 

河合拓氏の連載は、恐らく字数の制限もあり、少し分かりにくく感じました。

アパレル業界のコンサルタントと呼ばれている人たちの文章は、明快ではないものが多く存在しています。

本当に業界に変わって欲しいのなら、もっと分かりやすく書いたらいいのに。

 

ただ、今回、河合拓氏が指摘されている、日本のアパレルの単価が高すぎてグローバルブランドと戦えない、というのは賛成です。

その要因は金融政策というよりも、やり直しがしにくい日本の政策と日本人の価値観によると考えます。

逆に言うと、事業を継続することへの執着が強いことは、日本の強みとも言えます。

 

どちらが正解というものではなく、自分がどうしたいか、を考えて事業を行っていきたいですね。

 

アパレル業界のニュースを7つ選ぶ #7picks は、こちら

https://twitter.com/hashtag/7picks

その他、毎週月曜日配信のメルマガ「アパレル業界の〇〇な話」もよろしく。バックナンバーはこちら

https://b.tenjikaionline.com/category/blog/marumarustory/

吉川一平

展示会オンラインの主催者です。アパレルOEMのビジネスをして20数年の、そこそこベテラン。ある工場の社長から付けられた呼び名 「カットソーの貴公子」 は使ったことありません。

~略歴~
京都大学経済学部卒業後、伊藤忠商事株式会社へ入社。 退職するまでの12年間、アパレル部門で製品OEMビジネスに携わる。 2008年独立し、株式会社京都エモーションを設立し、現在に至る。

コメントを残す