アパレルOEM ビーカーでの落とし穴

ビーカーでの落とし穴

こんにちは。伊藤忠商事から独立して12年、アパレル業界24年 展示会オンライン 吉川です。今日は「アパレルビジネス アパレルOEMのビーカーでの落とし穴」について考えてみます。

 目次

  1. はじめに
  2. そもそも色って何?
  3. どんな光で見ているか?
  4. 対象物は何か?
  5. 誰が見るか?
  6. 最後に

 はじめに

 私はアパレルOEMのビジネスに24年携わっているわけですが、今も昔も、色に関するトラブルは後を絶ちません。車が自動運転になる時代に、まだ色のことで揉めているというのは不思議でなりません。
 グレーやカーキ、ベージュなどは、ビーカーの段階でOKが出ないことがよくあります。また、本生産でも色ブレや色ムラなども多いです。

 「何回やってもビーカーのOKが出ない」
 「コメントの意味が分からない」

 今回は、ビーカーでハマりやすい落とし穴について考えてみます。

 そもそも色って何?

 普段、私たちは色について意識すること、殆どないと思います。色というのは、対象物に反射した光を目が認識したもの、です。詳しくは、wikipediaを御覧下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2

 色が存在するためには、「光」「対象物」「視覚」が必要です。この3つが揃って初めて色になるので、色の問題を論じるためには、この3つが同じ条件でなければ、意味がありませせん。

 

 では、実際にアパレルOEMの現場ではどのようになっているか、考えてみます。



 どんな光で見ているか?

 昔であれば、蛍光灯、最近であればLEDが増えてきましたが、色は光によって変わってきます。店頭の光で見る色と、展示会場で見る色と、事務所で見る色、染工場のビーカー室で見る色は、光源が違えば全て違うことをまずは関係者全員が認識するべきです。

 

 蛍光灯の下でビーカーを見てコメントすることが、どれだけ危険なことか?、もっと言えば、蛍光灯のもとでビーカーの基色を選ぶことが、どれだけ危険なことか?

 

 なので、標準光源というものが設定されていて、ライトボックスが売られているわけです。アパレル業界ではD65が標準光源となっています。ちゃんとしたところは、関係者全員ライトボックスD65で色を見ています。

 

 全く気にしないのであればいいですが、できれば、少なくともビーカーの基色を出す側、ビーカーを作成する側は、標準光源で作業をするべきです。

 対象物は何か?

 綿の天竺で生地を作る時は、できれば、同じ綿の天竺でビーカー基色を出したほうが良いです。紙で出した場合、光の反射具合が繊維とは全く違うので、正しい指示にななりません。ツルツルの紙で出しながら、ビーカーのこだわりが強い人には、色についてしっかり教えてあげましょう。

 

 誰が見るか?

 色というのは、人間の感覚の1つですから、同じものを見ても、各自が完全に同じ色に見えていることはありません。大枠は同じように見えていることが多いです。しかし、普通、人は自分が見えている色は他人と違うかも?と思って生活していませんので、ファンズワース・マンセル 100 ヒューテストなどでチェックした方が良いでしょう。

 ビーカーを作っている人にも同じことが言えます。

 同じ光源で同じものを見ても、感覚が違うと意味がないですよね。



 最後に

 普段、ほとんど意識することがない色について考えてみました。いかがでしたか?

 

今後、生地や糸の場合はもちろん、プリントや付属の色についても、色の判断をする時は、標準光源D65で行い、色識別テストをした人が行うようにしましょう。無駄なことが防げると思います。

 

 そして、今回、一番気づきたいことは、「常に疑う、常に自問する」ということです。

 

 ・本当にこれでいいのか?

 ・いまやっていることは正しいのか?

 ・このままで正解に近付くのか?

 

 これらを関係者が認識しながら、分業をしていけば、必ずいいモノが生まれると信じています。

アパレル業界のニュースを7つ選ぶ #7picks は、こちら

https://twitter.com/hashtag/7picks

その他、毎週月曜日配信のメルマガ「アパレル業界の〇〇な話」もよろしく。バックナンバーはこちら

https://b.tenjikaionline.com/category/blog/marumarustory/

吉川一平

展示会オンラインの主催者です。アパレルOEMのビジネスをして20数年の、そこそこベテラン。ある工場の社長から付けられた呼び名 「カットソーの貴公子」 は使ったことありません。

~略歴~
京都大学経済学部卒業後、伊藤忠商事株式会社へ入社。 退職するまでの12年間、アパレル部門で製品OEMビジネスに携わる。 2008年独立し、株式会社京都エモーションを設立し、現在に至る。