アパレルOEMビジネス 中国生産が増えた理由

アパレルOEMビジネス 中国生産が増えた理由

こんにちは。伊藤忠商事から独立して12年、アパレル業界24年 展示会オンライン 吉川です。今日は「アパレルOEMビジネス 中国生産が増えた理由」について考えてみます。

 目次

  1. はじめに
  2. 24年前の話
  3. 中国生産が増えた理由
  4. 最後に

 はじめに

 

 私はアパレルOEMビジネスに24年携わっているわけですが、24年前は中国生産が本格的に始まったころで、中国とのやり取りも英語でした。香港ベースから上海ベースに移りだす頃です。
 その中国生産が、今や減る一方で、生産地はアセアンやバングラに移りつつあります。ロットや計画生産で面食らっている人も多いのではないでしょうか?

 恐らく、アセアンの人が日本人に言われたくない言葉の1つに、
「中国だったら出来るのに」
があります。ついつい、中国と比べてしまいますね。
 
 24年前は、今のアセアンと同じような状況だった中国が日本向け衣料品の90%のシェアを持つようになった理由を考えてみたいと思います。

 24年前の話

 24年前、中国の生産の窓口が香港から上海に移りはじめたころでした。
香港もですが上海も、やりとりはすべて英語でした。

 生地はもちろんのこと、付属、裏地芯地はもちろん、ボタン、ファスナー、レース、伸び止め、刺繍糸も日本からの持ち込み、パターンも日本支給。第三者検品も少なく、よく工場から、「検品会社は自分たちの利益のためにわざとB品を作る」という文句が来ました。

 生産も計画生産で、リードタイムは3ヶ月、日本の通関も本船到着後3日から4日かかっていました。

 今から考えると、高い工賃を払っていたと思いますが、日本や韓国の工賃と比べると半分以下だったので、みんな儲かっていたと思います。
 工場も日系の工場がほとんどでしたが、カットソーでは上海嘉楽などが登場し始めたり、シルク関係は中国ローカルの会社で、一部テーブルメーカーがちらほらありますが、外注を管理する仕組みもノウハウもなく、品質トラブルが多発していたと記憶しています。

 計画生産なので生産計画に合わせて、日本からベテランの技術者が工場を訪問、ラウンドして、サンプルのチェックや本生産のチェックをしていました。
今の中国生産と比べると、丁寧で手間のかかるやり方をしていました。

 「アセアン生産と似てる」と思いませんか?
そうです、今のアセアン生産の状況と非常によく似ています。つまり、海外生産の基本というわけです。

 アパレルOEM歴20年未満の人は、”出来上がった”中国から始めていますので、この基本を知らないん人が多いです。

 中国生産が増えた理由

 基本のやり方でスタートした中国生産ですが、日本のコストの上昇とともに、いろんな技術が中国に移転しました。生地や付属も同じです。結果、中国の産地化が一気に進みました。これが中国生産が増えた理由の1つ、技術移転。

 次第にやり取りは英語から日本語に変わってきます。2000年頃には、日本語でのやり取りがほとんどになっていました。欧米向けをやっている会社には日本語出来る人材は、今も昔もいませんが、日本向けをやっている会社には日本語出来る人材は必ずいます。
このあたりは、中国人のセンスです。これが増えた理由の2つ目、日本語。

 当初は海外生産の基本的なやり方でしたが、2002年頃から、リードタイムが一気に縮まって来ました。90日→60日→40日、場合によっては、15日等 時間をお金で買うようになりました。これは、商売に対して中国人が貪欲であること、それにより、中国の設備投資が進んだこと、また環境問題が顕在化する前だったこと、などがベースになっています。その奥底には、中国人のお金第一主義があります。これが増えた理由の3つ目です。

 中国の適応能力は群を抜いています。アセアンは何年たっても、中国化しません。国民性が違いますし、国がバラけてしまっているため、産地化しにくいと言えます。

最後に

 中国って、めちゃくちゃなところ色々ありますが、商売に関しては頭もいいですし、日本と比べて、真剣だと思います。でなければ、わずか数年であんなに日本に合わせた生産背景が作れるわけがありません。
 日本のアパレルは、すっかり中国に骨抜きにされています。なので、いきなりアセアン生産は無理です。基本動作を分かった上で、中国とアセアン諸国の価値観の違いも理解しながらやっていかなければなりません。
 「中国だったら出来るのに」という言葉はしっかり飲み込んで、アセアン生産進めて下さい。

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吉川一平

展示会オンラインの主催者です。アパレルOEMのビジネスをして20数年の、そこそこベテラン。ある工場の社長から付けられた呼び名 「カットソーの貴公子」 は使ったことありません。

~略歴~
京都大学経済学部卒業後、伊藤忠商事株式会社へ入社。 退職するまでの12年間、アパレル部門で製品OEMビジネスに携わる。 2008年独立し、株式会社京都エモーションを設立し、現在に至る。